10月10日は 母の命日。
先日、17回忌を無事に終えました。
秋晴れの早朝 最愛の父の傍で
静かに天に旅立ったのでした。
母らしい最期だったと思います。
私は母が亡くなる前の
6月に 1ヶ月間、母の看病をしました。
既に12回の入退院を繰り返し、3度の手術。
体力の限界に来ていたのでしょう。。。
最後の入院になるかも知れないと弟から連絡を受け
1ヶ月間 病院に寝泊まりをして 看病をしたのでした。
快復するまでずっと看病をしたかったのですが
遠方に暮らしていたので 泣く泣く母の元を後にしました。
生きている母の姿を目にしたのは この日が最後でした。
病室の白いベッドに ちょこんと座って
笑いながら 手を振っている姿は
今も脳裏に 焼き付いています。
8月に兄が帰省した際に 退院。
兄に 抱きかかえられて
実家に戻り 幸せだったと思います。
それから2ヶ月後、10月10日の早朝。
父が母を起こしに行き
声をかけても返事はなかったそうです。
静かに 静かに。。。。。
母の命、生を全うしたのだと思います。
享年62歳。
母の遺品を整理していたら
何冊も手帳がありました。
本来は美しい文字を書く人でしたが
病気のためか震える手で必死で書き綴った文字。
不本意にも病弱な自分を励ます言葉や
自分の生い立ちや家族のことをしたためていました。
母が精いっぱい、生きてきた証です。
母の命日にいつも思い起こします。
「人は生きたように 死を迎える」
最愛の祖母と母の死を経験して
人は何を大切にして
生きてきたのかを
最期の時に 知らせてくれるのかも
と、思うのです。
祖母は根っからの商売人。
賑やかで社交的な人でした。
やはり ご縁ある大勢の人たちに囲まれて
天国へ旅立ちました。
孫をとても大切にしてくれたので
最後まで孫思いの人でした。
私は「死生観」を
深く考えるようになりました。
時間は有限。
私に与えられた使命を全うしたいと思う。
私がこの世に生を受け
与えられた使命は 何なのだろう。。
と、20代の頃からよく考えました。
こうして 迷い 悩みながらも
生きて 学びを深めていることも事実。
経験することで
自分の本質に気づく機会を
与えられていると思うのです。
嬉しいこと 楽しいこと 喜び
悲しみ 悔しさ 憤り etc.
悲喜こもごも。
それも また人生
生きているからこそ 経験できる。
何事にも 動じず
自分を 信じ
行動すること。
ただただ
今を生きていることに感謝すること。
すべてに 感謝すること。
この学びは大きく深いものでもあります。
母の命日にいつも思い起こします。
母の命から教わったこと。
今を 生きていることに 感謝すること。
今を 生かされていることに 感謝すること。
自分らしく 希望を見出すこと。
だからこそ、私は文を書きたいのです。
私らしく精いっぱいに 生きている証として。。。
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