今は ある程度 自由かも。。
ちょっと郊外へ
出かけてきた。
地元の方々との
何気ない会話。
「良いね~ 自由で」
「〇〇だから 〇〇でない」
「既に決められていたからね~」
そんな言葉が
何度か聞こえた。
美しい景色とは
反対に私の心は
もやがかかる。
あ~ きたきた。。
私のフィット感反応(笑)
でも 笑顔を崩さず。。。
あるではありませんか。。
自由は。。
求めれば 見つけられる。
何に自由を見出していくか
なのでは。。
あるではありませんか。。
美しく整えられているものが。。
尊い生命が。。。。。
他の人に決められたことを
受け入れて選んだのは
どなたかしらん。。
何もないと仰る。
何もできなかったと仰る。
謙遜で話されていると思うが。。
日々、営んでこられた
素晴らしい経験と智慧を
お持ちではないですか。。
若輩者の私がいうのも
おこがましいですが
それこそが
かけがえのない財産だと思うのです。
自由は
不自由を経験し
もがき苦しんだからこそ
覚悟を決めて
自分で 選び
作り出したのです。
美しく整えられるものが
自分の目の前にあることは
大きな喜びだと思うのです。
それすら 与えられないことだって
いっぱい存在しているのです。
決められたことの中で
生かされていることだって
恩恵を受けていると思います。
何故にと思うことが続き
暗く長いトンネルのような
時間を経験したから
明るく前向きに生きようと
思えるようになることもあります。
まあ~ 良いんですけどね。。。。
自分の目の前のことだけに
囚われすぎると
大事なことを
見失いそうになります。
柿の木も いつの間にか
張りとつやのある
大きな葉が生い茂り
小さな実をつけています。
枯れたのかなと思っていた
松の木にも
小さな葉っぱが
芽を出しています。
雨が降らずカラカラの
暑い日差しに
照らされたつつじは
花びらがしおれかけていました。
でも 翌朝、朝露に浸り
花びらは 生き生きと
咲きかえっています。
日々、同じことの繰り返し。
それは どこで
何をしていても
その人 その人の立場で
繰り返しなのかもしれません。
でも それは
尊い経験になっていると思います。
退屈だと感じるのではなく
ちょっとだけ
見方を変えると
こうして生きていることが
奇跡の連続だと思うこともあります。
言葉は 大切。
どんな言葉を使うかで
意識は 奥深いところで
積み重なっていくのですね。
私も 心がけていきたいと思います。
今日も最後まで お読みくださり
誠にありがとうございます。
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