一生の思い出「えびす祭り」

9日から11日まで「えびす祭り」が

始まっています。


地元では「おいべっさん」「えべっさん」と

親しまれているえびす祭りです。

今日は十日えびす。

私は遅番勤務なので

出勤前にお詣りに伺いました。


私にとって、この「おいべっさん」は

一生の宝でもある思いで深いお祭りです。


かれこれ、四半世紀前にもなります。

今は亡き母と祖母と私と女3人で

手を繋いでお詣りした「おいべっさん」

3人で手を繋いで歩いたのは

この時、最初で最後だったかもしれません。


明治生まれの祖母は 女一代で雑貨店

(たばこ、お塩、日用品と何でも売っている

山の中の小さな雑貨店です)を営んでいました。

根っからの商売人で社交的な人でした。

昭和初期風「キャリアウーマン」


女学校を出て、商売を始めたいと両親を説得。

片道25キロもある山道を歩いて

最寄りの鉄道(JR)の駅まで行き

列車に乗って、市内まで仕入れに来たそうです。

我が祖母ですが、ひとりの女性としての生き方に

小さい頃から尊敬していました。


母は全く真逆の性格で物静か。(外向きは。。)

芸術肌で自分の世界観を持っている人でした。

縫い物、編み物、書道、華道、音楽、読書

そして、文章を書くのが好きな人でした。

昭和中期風「夢見る乙女」


商売にはあまり向いておらず

チャキチャキの祖母、ふわふわおっとりの母。

お嫁さんとお姑さんの関係は???

騒動が嫌で 子ども心ながら

兄といつも相談しては二人で

家出のまねごとをしていました。


そんなすったもんだを

繰り返していた母と祖母ですが

祖母が年老いてからは

それは それは 和やかに

実の母と娘の様に

とても仲良くなりました。

お互いに歳を重ねたのでしょうね。


商売人の祖母は市内のおいべっさんに

お詣りできた時、大喜びをして

子どもの様に楽しそうでした。


大勢の人でごった返す通りを

迷子になってはいけないと

母が手を繋いで歩こうと提案。

私を真ん中にして3人で

ぎゅっと手を繋いで通りを歩いたのです。


今日のお詣りにはリュックの中に

母と祖母が二人で写っている写真を

入れて行きました。

そして、このお正月に

父からもらった手袋をはめて

3人でぎゅっと手を繋でいると

想像しながら神社までの通りを歩きました。


縁起物の福笹と熊手を購入。

ちりん ちりんと鳴る 

熊手の鈴の音が

あの頃の思い出を蘇らせてくれます。


2018年も母と祖母と一緒に

「おいべっさん」にお詣りができました。

二人とも喜んでくれている気がします。

日々是好日、空を見上げて深呼吸

自然を愛し、何気ない日常に見出す喜び、幸せを文章にしたためたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。